专栏|幻花(二)

发表于 讨论求助 2020-10-17 06:15:36

 前回の続きである。

 オールド上海の時代に、チャイナドレスを身にまとった令嬢たちは、豪華な香水をつけるよりは天然の花香を好み、ハクランなどのお花をハンカチに大事に包み、脇あたりのボタンにかけて、チャイナドレスの内側にひそかにそれを隠しておいた。「聞香不見花」(香りはすれども花見えず)の趣で、決してお花を表に出したり、人に見せたりしなかった。このような洗練された含蓄と余情は、旧い時代の育ちのよい女性たちの共通した美意識であった。

 その後の時代の変遷によって、チャイナドレスもファッションそのものも人びとの生活から消え去った。時代の新しさの象徴として、女性はチャイナドレスに替えて、一斉にブラウスを着用するようになった。しかし、自然を愛でるこころは変わることなく、お花を付ける習慣は一部の女性の間では残っていた。お花をブラウスのボタンにかけるが、チャイナドレスの時代と同じように服の内側に入れ、隠しておいた。時代がどれほど変わろうとも、気品高き女性の美意識と躾は代々に伝わり、決して変わることがなかった。

 視覚的な美的表現をあえて追求せず、むしろそれを隠し、あるいはぼやかし、曖昧化することによって美的効果を高め、広げていく。一方、人為的な美しさを好まず、自然界のほろびやすいものを好んで愛でる。このような美への理想は、遥か古代から伝わってきた東洋の伝統的な美意識である。

 遺憾なことに、今の世の美的趣味や、価値観、あるいはそれに関連する礼儀作法などは、伝統とはほぼ真逆の方向へと進んでしまっている。「隠しより晒し」「自然さより人工的」「婉曲より直接的」、伝統美への帰依心は徐々に遠ざかってしまっている。振り返れば雅やかな美的理想はまことに幻の如く、過去の世に取り残されている。

 古き良き美の趣は過ぎ去りし時代とともに廃滅していく。花売り農婦たちはいまやすでに白髪の老婦となり、街の一角で静かに腰を下ろし、旧い時代と変わらぬ方法でお花を結んでそれを売る。老婦たちの姿をいまもときどき見かけることはあるが、急ぎ足で行き交う若い人たちがその前で歩を止めることなく、一瞥もくれず素通りしていくのをみて、世の移り変わりの無情さを嘆き、飛花落葉の感慨で胸がいっぱいになる。

 お花を売って微々たる稼ぎを手にし、暮らしの足しにする市井の稼業はどんどんなくなっていく。目まぐるしく変わる今の世では、そのような素朴な営みを継ぐ人はおそらくあらわれてこないのであろう。花売り老婦たちが上海の街から消え去ることはもはや運命的である。「ツツーホー、バレーホー」のかけ声も残念ながらプッツリと絶たれてしまうに違いない。時代の名残として儚くもその残響は、高淡なる花香とともについに幻と化して私たちの心の奥底に深く沈んでゆくのであろう。(了)

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